日時 | 1997年04月29日(火・祝) |
場所 | サンスクエア堺(堺市立勤労者総合福祉センター) リハーサル室 |
参加者 | 森末 吉彦と、その呼びかけに応じた者の合計9名 |
1990年代前半、当時は英国式ブラスバンドは現在ほどの数はなく、大阪においてはプロのBREEZE BRASS BANDのみが活動しており、一般市民向けのブラスバンドは見当たらない状況でした。
BREEZE BRASS BANDが1993年にリリースしたアルバム「EXCALIBUR」(佼成出版社 KOCD-2503)の登場は当時の吹奏楽界に大きな衝撃を与え、各地でブラスバンドを立ち上げようという動きが活発化しますが、当時はインターネットもなく情報源が限られていたこともあり、実際に立ち上げることは難しい状況でした。
当時、高校生だった森末が、このCDを貸して回ることで興味を持つ後輩を増やし、「いつか立ち上げたら参加してね」という約束をしつつ高校を卒業します。その後、高校同級生が所属する大学の吹奏楽部にユーフォニアムのエキストラとして演奏会参加するなかで、別のエキストラ奏者と親交を深めつつ、「いつかブラスバンドを立ち上げようと思うので参加して欲しい。」と約束を取り付けたりしていました。
また森末は当時、パソコン通信サービス「NIFTYServe」(現@nifty)内に存在したクラシック音楽愛好家のための電子フォーラム「FCLA」に参加しており、そこで活動するFBTE(Fcla-Bari-Tuba-Ensanble)のオフ会に参加して友人を増やしつつ、設立の機会を探っておりました。
実際に立ち上げを検討するものの英国式ブラスバンドに関する情報は、当時の吹奏楽雑誌「バンドピープル」1995年3月号の特集記事「これがブラス・バンドだ!」しか入手できない状況だったので、ブラスバンドの情報を入手するべく「FCLA」にて「南大阪にブラスバンドを立ち上げよう」という趣旨の呼びかけを森末が行いホームパーティ(簡易電子掲示板)を設立しました。ところが、その呼びかけ直後に茨木市吹奏楽団金管バンドセクションがブラスバンド形態で合奏していることをFBTE友人から知り、急遽そこに混ぜてもらう形で参加し、それを指導していたBREEZE BRASS BANDのプリンシパルコルネット奏者であった岡本篤彦氏と出会うことで具体的な立ち上げの計画が進み出します。
岡本篤彦氏から「先人の力を借りるとよい」と京都チアフルブラスバンドの紹介を受け、そこで楽譜の入手方法を教わった森末は、約束をしていた友人たちと「まず立ち上げる」ことを決意し、初回練習がきまりました。
初日の練習はJR阪和線堺市駅近くにあるサンスクエア堺リハーサル室にて行われ、参加したのは森末とその後輩4名、エキストラ仲間2名、その他2名の合計9名でした。
当日演奏した楽曲の正確な記録はないのですが、当時のメンバーの記憶をつなぎ合わせると下記の曲を練習したようです。
人数も少なくコルネットではなくトランペットだったりホーンセクションが全くいないなど不完全な編成でしたが、「自分たちでも出来る!」という感触を得て、練習の終わりに英国式ブラスバンドの設立を確認、これがBRASS BAND☆SAKAIになります。
その後、軌道に乗るまでには紆余曲折があるのですが、パソコン通信経由で全国のブラスバンドの先輩の支援を受けたり、熱心なメンバーが加入することで安定運営できるようになり、大阪で最初に設立されたアマチュアの英国式ブラスバンドとして現在に至ります。
この経緯の中で「南大阪にブラスバンドを立ち上げよう」ホームパーティは短期間で役割を終え、ブラスバンドの情報交換の場として「ブラスバンドホームパーティ」(BBHP)に発展、BBHPはNIFTYServe内のサービス変更にともない「ブラスバンドパティオ」へとさらに発展、日本全国のブラスバンドファンの情報交換と交流の場として日本のブラスバンドの普及と発展に貢献することになりました。